奄美大島 紀行記その一

2021/3/16

奄美大島 紀行記 その一

社会福祉士 北村弘之

コロナ禍の緊急事態宣言が延長された最中でしたが、夫婦で南国奄美大島に足を運びました。今回の旅は、奄美大島で終焉した画家の「田中一村」の絵の鑑賞とその中にて出てくる奄美大島の情景を見たいこと、また本場での泥染め体験と大島紬に出会えることでした。前者は私、後者は妻の目的です。

田中一村美術館

数年前、テレビ番組で田中一村の絵に出会ってから、一度は本物を見たいと思っていました。幼少期にはすでに天才画家と言われながら、孤高の人生を歩んだ田中一村。そのためか生存中は描いた絵画は注目されず、昭和の後半になってからNHKの番組「日曜美術館」でブレークしたようです。田中一村が住んで描いた場所は、千葉市と奄美大島ということで、作品の多くは千葉市美術館と今回訪れた奄美大島の田中一村美術館にあります。その他個人の所蔵も多いようです。

私が凄いと思うのは、「線の描き方」が実に滑らかで、そこに鮮やかな色で花鳥画を描いていることです。代表作は「ビロウとアカショウビン」と南国の海を表している「アダンの海辺の図」です(次頁)。現物を見て一番印象的な絵は「枇榔樹(びろうじゅ)の森にて」でした。これは葉っぱの筋や葉先の枯れ具合など実に精密に表しているのです花鳥画をモチーフにした絵は、私の好みの「伊藤若冲」の動植綵絵に負けず劣らずのものでした。

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泥染体験と大島紬

大島紬は名前の通り、奄美大島で生まれたものです。訪れた大島紬村では、世界3大織物の一つに数えられる大島紬の成り立ちや工程、そして職人の実演をガイド付きで見ることができました。大変精緻な手仕事は反物になるまで相当の時間がかかることから、ものによってはかなりの値段になっているようでした。しかしそれはもう、うなずけるものでした。その最初の工程である糸を泥で染色する体験を妻はしました。龍郷村の肥後染色で90分間の奮闘でTシャツとストールを職人さんに手ほどきを受けながら行いました。

写真にあるように、タンニンを含んだ「シャリンバイ(車輪梅)」を煮出した汁で何回ももみ洗い、そのあと中和のための石灰を含んで水にさらし、その後鉄分を含んだ「泥」でもみほぐすのです。これを繰り返すといい色になるのです。最高の色「黒」になるまでは何十回もの工程を要します。職人さん夫妻と妻は同い年であったことから、話が弾み家族の話をしながら和気あいあいとした時間を過ごすことができました。帰りに「タンカン」という奄美大島の特産品の果物をいただきました。とても甘くてジューシーでした。

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また最終日には、大島紬美術館を訪問しまた。豪華なリゾートホテルTHIDAの中にあり、代表的な龍郷柄で織ったもの、また田中一村の絵画をモチーフにした帯や着物などの紹介がありましたが、目が飛び出るような値段でした。

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鶏飯と黒糖、そして焼酎

奄美大島の郷土料理と言えば「鶏(けい)飯(はん)」。江戸時代、薩摩の役人をもてなした料理。実にシンプルなのです。鶏肉の裂いたもの、タンカンの皮、パパイヤ漬け、錦糸卵をご飯の上にのせ、鶏のダシをかけて食べるというお茶漬風なイメージです。私は、ひさ倉と言う店で昼食に、ホテルでは朝食に頂きました。私にとっては、鶏はもちろんですが、パパイヤの漬物が大変うまかったです。

また、黒糖作りに家族で営む「水口黒糖工場」を訪れました。さとうきびを原料としたものですが、採れた畑で味がそれぞれ違うことから、幾つかの畑のものをブレンドして生成していると話されていました。工程の殆どは手作業で、大釜でさとうきびの汁から水分を蒸発させている光景は圧巻でした。実は、江戸時代薩摩藩は、奄美大島を支配下にし、この黒糖を安く買い入れ、江戸や難波で高く売り、藩の財政を豊かにしていました。そのため当時の奄美大島の人々は糖をなめることもできない厳しい状況にあったようで、現在は同じ鹿児島県になっていますが、その恨みは現在も続いているようです。

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また、黒糖を使った焼酎作りも盛んで、私は「高倉」という焼酎を「ならびや」という名瀬市内の食事処でいだたきました。この店には約300種類の焼酎がおいてあるとご主人は言っていました。ここではご主人が自慢ののどで、島唄をうたってくれました。(写真)三味線を弾いていた人は学校の柔道部の先輩ということでしたが二人とも唄に感情がこもった素晴らしいものでした。何と奄美大島の島唄の’島’とはアイランドの島でなく「集落=縄張り」というもので、薩摩藩に虐げられた苦しい時代に生まれたものということをご主人から聞くことができました。いわゆる怨恨歌なのです。 ご主人は私と同学年で、若いときは横浜に住み、その後大阪でサラリーマン生活を送り、55歳で奄美大島に戻り、店を開業したとの話でした。

やはり旅での出会いは良いものです。

以上

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