カテゴリー別アーカイブ: Welfare通信

「死を生きた人々」を読んで

2/2/2021

死を生きた人々

(訪問診療医と355人の患者)

著:小堀 鴎一郎

北村 弘之(社会福祉士)

2018年6月にNHKで放映された番組を本にしたものが「死を生きた人々」です。これは多くの共感を呼び「人生をしまう時(とき)」というタイトルで映画にもなりました。私はNHKで放映されていた「在宅医療」の現実を目の当たりにしました。そして今回、そこに登場した小堀医師の著を読み、改めてもっと「生きること、そして死ぬこと」に真剣に向き合うことが必要と感じました。

死を生きた人々 表紙

在宅医療と在宅死

私が子ども時代、祖母が病気になると父は往診医を呼んで診てもらっていましたが、現在は往診という言葉は死語となり、代わりに「在宅診療医療」と言われています。この仕組みは、通院できない人などを対象に医師や看護師が定期的に自宅を訪問して患者の容態を診るものです。

2012年は新生在宅医療元年と言われています。この狙いのひとつに医療負担額の絶対額減があります。著によると、入院の場合、救命・根治・延命が主目的となっており、そのためには薬剤費や検査費用がかさむのに対し、在宅診療の場合は、特に看取りが前提となった場合は、苦痛を取り去るだけの治療となり、医療の目的が違いこともありますが訪問診療と入院での医療費は10倍の開きがあるということです。

しかし、在宅療養診療所の届け数は、13,000以上あるにも関わらず、看取りを実施した診療所は全体の5%ということです。この数字は、いざとなった時、多くの家族や医師は「病院」に入院させるということからでしょう。1951年当時、病院で死を迎える人は11.7%で圧倒的に自宅だったようです。私の祖母もそうでした。(1966年死去) 現在もその割合に大きな変化はないようです。

小堀医師によると、その原因は「死を忌み嫌う国民感情」つまり、家族間で死の話はタブーであり、病院に担ぎ込めれば何とかなるという意識が長い間に醸成されたものであると言っています。また医療技術は発達し、医療・看護関係者の間では「死は敗北」といった意識が生まれ、「延命至上主義」の風潮が広まり、国民の間でもその意識が広がったことによるとあります。

米国との比較では次のような書かれていました。米国ではホスピス、つまり「死なせる医療」が進んだのに対し、日本では「生かす医療」一辺倒で進んできたものであろうと。

小堀医師は、40年の外科医から訪問診療医(65歳)に転じたあと、355人の患者を診てきた。著の中でそのうちの41事例を紹介し、患者の症状や患者の想い、そして家族の感情を記した上で、医師として何をすべきだったかを回顧録的に発信しています。病院死が一般化するにつれ、自分や家族がいずれかは死ぬという実感がなくなり、死はドラマや小説の中に出てくる出来事でしかなくなったとも。

私は、在宅死か入院死かの選択は本人の想い、家族の仕事や生活の状況を踏まえた上で、一方的な医療側の都合だけによらないことが大切であろうと思った次第です。

生き方はもちろん大事ですが、死に方も大切であることを先人からもっと学ぶことが不足している現代です。

 以上

印刷はこちら→著 小堀鴎一郎 「死を生きた人びと」を読んで

介護が必要になった時の相談窓口

働き盛りの人の「親に介護が必要になったら」

今回のテーマ「介護が必要になった時の相談窓口」  No.2  発行5/25/2021

前回はどのような時に介護が必要になるかを説明しました。今回は、その相談窓口先です。介護者(多くは家族)にとって、これまで経験したことのない下の世話(排泄)や慣れない食事の世話、入浴介護が毎日続きます。

そのような介護者にとっては、まずは地元の「地域包括支援センター」に相談して下さい。この組織は公的機関で親の住所地の中学校区に一つはあります。適切な助言や介護支援が受けられます。(図 2-1.)

2-1.介護相談 図

(図 2-1.)

その時、適切な助言や介護支援をしてくれるのがケアマネジャーです。(図2-2)

ケアマネジャーはどのような方法がその人にとって最善の介護かをケアプランとして作成してくれます。特に、在宅で介護を続ける被介護者やその家族にとって大変大きな力となってくれます。

2-3. ケアマネジャーの役割 図_001

(図2-2)

病気や怪我で退院後の相談先は、病院内の医療相談室になります。一人で迷わず、周りの人に声をかけて適切な相談先をみつけるようにしましょう。(図 2-1.)

また、認知症が見られた時は、まずは「かかりつけ医」に相談しましょう。そこから、認知症の専門医がいる認知症疾患医療センターを受診していく道筋もあります。認知症は、現代の医学では根本的な治療薬は開発されていません。認知症の症状の緩和をしてくれる薬を選択していくことが肝心となりますので、早めの相談、医療機関の受診(図2-3.)がよいでしょう。

2-2. 認知症相談窓口 図_0001

(図2-3.)

以上

印刷は→親に介護が必要になったら NO.2

奄美大島 紀行記その二 

2021/3/16

奄美大島 紀行記 そのニ

社会福祉士 北村弘之

奄美大島紀行の続編です。

すばらしい南国の景色

奄美大島は亜熱帯植物の宝庫です。NHKの「ダーウィンがやってきた」の中で奄美大島の巨大うなぎを特集していましたが、住民は巨大うなぎとも共存して生活をし、まさに自然と一体となっている島なのです。奄美大島群島の人口は10万人弱。うち奄美大島で6万人弱です。その中でネオンがある通りは名瀬の屋(やん)仁川(ごん)通りのみの数百メートル。そこを離れると実に素朴な山並みやさとうきび畑の風景が続いています。俗化されていないことが気持ちを和ませてくれました。

今回は、地元の人に紹介していただいた「金作(きんさく)原(はら)原生林」ではガイドの同行が必要でしたので電話したところ、あいにく定休日と重なり、泥染めした「肥後染物」の娘さんの紹介で、「奄美自然観察の森」を訪ねることにしました。一周40分程の森の中の様々な植物や鳥の生態が詰まった生きた自然博物館ともいえるもので、大変楽しむことができました。展望台からは、ブルーオーシャンの内海や東シナ海を観ることができました。残念ながら、ルリカケスの姿は見えませでした。

また、大島紬美術館の人に紹介され、島の北端にある「あやまる岬」を訪ねました。眼下には広大なサンゴ礁が見られ、広場ではゲートボールをする人や子供たちの歓声が聞こえました。

今回の旅は、名瀬より北部の旅が主だったのですが、南方面では、マングローブの原生林ツアーや、マリンレジャーなどが楽しめることができ是非次回は行きたいものです。

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人のつながり

旅は何と言っても、いつもと違う雰囲気を味わえるひと時であり、日常生活や仕事を忘れて地元の人と触れ合うことができるものです。今回の旅では、行く先々での「人のつながり」に驚きました。

滞在したホテルの初日、地元の料理を食べさせてくれる店の紹介を受け、「木の花」という小料理で夕食をいただきました。旅先ならの地ビールと黒糖焼酎をいただきながら、地元の食材で大満足でした。食事をしながら、泥染めを体験できる場所(肥後染色)の紹介を受け、2日目朝に予約の電話をいれました。また店の人と話をしていると田中一村美術館内で、大島紬のキルト展を主催していた先生がまもなく来られるとのこと。その日は、我々もキルト展も観てきたので帰り際に先生にご挨拶して店を後にしました。

キルト展

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翌日、肥後染色でTシャツとストールの泥染め体験を楽しむムことができました。そこの娘さんに、次の散策地を紹介してもらい「奄美自然の森」へ。その前に龍郷町の「りゅうぐう館」で町の歴史などを学び、そこで出会った人に昼食できる店を聞き、「ひさ倉」で鶏飯をいただきました。

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その夜、島唄が聞ける料理屋をホテルで紹介してもらい、夕食は「ならびや」です。何と、ここのご主人の店の暖簾は我々が体験した「肥後染色」に特注で依頼したものだったのです。それも、縦横2メートルに及ぶ大作が数枚あるのです。その話で食事は盛り上がり、島唄とつながっていきました。

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本当に「人のつながり」そして「旅での出会いのおもしろさ」を感じた時でした。

エトセトラ

① 3月に奄美大島に行けば、ひょっとしたら「すぎ花粉」がないのではと思ったからです。私は、2月中旬から3月末にかけて数十年間花粉症に悩まされているのです。事前の調べはなかったものの、現地の夕方のテレビでは本土の鹿児島の花粉症予報はあったものの、奄美大島の欄は何も記載されていないのです。こうして、花粉症に悩むことなく楽しい3日間を過ごすことができました。来年からは、奄美大島を花粉症避難地としたいものです。

②奄美大島は、昭和28年に米国から返還されていたことを地元で購入した本から知りました。沖縄の返還は有名ですが、奄美大島も米軍統治下にあったのです。江戸時代以前は琉球王国、江戸時代には薩摩藩の配下で黒糖の重圧を受け、明治時代には鹿児島県の配下となり、戦後は米国の支配下と目まぐるしい抑圧にあった島なのです。西郷隆盛の流刑地としても知られています。奄美大島と徳之島、沖永良部島と3回にわたっています。

沖縄返還後、国は国道58号線を本土と沖縄をつなぐルートとして、鹿児島市内を起点とし、種子島、奄美大島そして沖縄につなぐ海上国道を開通しました。現在国道沿いには、軽自動車の販売や修理業者の店が多くあり、島の交通手段になっていることを実感しました。               以上

印刷はこちら→ 奄美大島 紀行記 2回目

「どのようなことで介護が必要になるか」 No.1

働き盛りの人の「親に介護が必要になったら」

「どのようなことで介護が必要になるか」 No.1            発行4/25/2021

働き盛りの45~60歳の間に、多くの人は親に介護が必要な状態になっています。これは、日本人が長寿になってきたことに大きな要因があります。また、過去のような家族3世代で生活しながら、家族同士や親族で年老いた親の面倒を見ることが少なくなったこともあります。

しかし、働き盛りの人は企業などの組織内活動ではベテランの域に入っており、しかも組織を牽引する立場にあり、なかなか休むこともできないのが現状です。

そのような中、介護は突然やってくるのです。出産は計画的な予定を組めますが、介護はそうはいきません。年老いた親は、ちょっとしたことでも足をひっかけたり自宅内で転倒したりします。そして救急車で病院に移送されます。そのあとに病院から子どもに電話があるのです。「あなたのお父さんが転倒して大腿骨を骨折したので当病院に入院中です」と。

家族での介護は、病院から退院したあとに発生するのです。このような状態になったとしても、慌てずふだんからどのような相談先があるのか、どのような介護サービスがあるのか、お金の負担はどのくらいなのか、仕事は休まなくても何とか介護を続けていく就業規則があることなどを知っていることが大切と考えています。

今回のシリーズでは、「親に介護が必要になる前」に知っておく、ちょっとしたヒントを掲載しております。是非参考にしていただければと考えています。

【テーマ連載項目(7回シリーズ)】

  • どのようなことで介護が必要になるか
  • 介護が必要になった時の相談窓口
  • いろいろな介護サービス
  • 介護認定申請手続きを理解しましょう
  • 働き続けるための工夫
  • 男性の介護5か条
  • ひとり暮らしの親のためにできること

 

  1. どのようなことで介護が必要になる

元気な若者でも、事故にあったりして腕や脚を骨折したことで、家族などから食事を食べさせてもらったり、排泄や入浴の介護を受けるのと同じように、高齢になると身体機能の低下や認知症により、誰かに介護を受けて生活していくことが多くなります。

若者と高齢者の違いは、前者は回復性が高く介護は一時的であることの反面、後者は介護の頻度の上下はあるものの継続していくというのが特徴です。

下記のグラフを見て下さい。(図1-1.) 介護保険の認定者の原因分析したものです。

「認知症」が一番です。判断や手順を間違えることが多くなったり、暴言を吐いたり、不要な声出し、衣服の着脱ができなくなったり、徘徊したりして介護が必要になります。次が「脳血管疾患(脳卒中等)」です。片麻痺等になり、手足が不自由な状態になり介護が必要になります。4位が骨折・転倒ですが、コロナ禍で体力筋力の低下で自宅内での骨折・転倒が増えているとの報告があります。

1-1.介護が必要となった原因(原 厚労省H28年国民生活基礎調査資料 生命文化センター発行)

(図1-1. 介護が必要になった原因 厚労省平成28年)

ところで介護は、「ある日突然やってくる介護」もあれば、「日常生活の中で徐々に始まる介護」もあります。

「ある日突然やってくる介護」とは退院後の介護です。それは、脳卒中や骨折・転倒によるものです。現在の医療制度は治療やリハビリが終わると、退院また転院という対応になり、ようやく歩くことができた人にとって自宅で生活することは容易ではありません。そのような時にはどうしても誰かの力を借りることが必要になってきます。具体的には、食事の準備や買い物等の毎日の生活を過ごすための生活支援が必要になってきます。また、入浴や排泄等の身体介護も必要な人もいるでしょう。髪や服装が乱れている、季節に合わない服を着ている。お店の支払いをお札で支払い、お財布に小銭ばかり入っている。冷蔵庫に同じ物ばかり多量に買っている等です。

また「高齢に依る衰弱状態」では家の中で、家具や壁につかまり移動している。重い物の買い物に行けなくなった等ご家族の「見守り=介護」が必要になります。このように誰かの力を借りる場合(介護)の相談窓口や介護のサービス内容について今後ご紹介していきます。

このように誰かの力を借りる場合(介護)の相談窓口や介護のサービス内容について今後ご紹介していきます。

以上

印刷はこちら→親に介護が必要になったら NO.1

奄美大島 紀行記その一

2021/3/16

奄美大島 紀行記 その一

社会福祉士 北村弘之

コロナ禍の緊急事態宣言が延長された最中でしたが、夫婦で南国奄美大島に足を運びました。今回の旅は、奄美大島で終焉した画家の「田中一村」の絵の鑑賞とその中にて出てくる奄美大島の情景を見たいこと、また本場での泥染め体験と大島紬に出会えることでした。前者は私、後者は妻の目的です。

田中一村美術館

数年前、テレビ番組で田中一村の絵に出会ってから、一度は本物を見たいと思っていました。幼少期にはすでに天才画家と言われながら、孤高の人生を歩んだ田中一村。そのためか生存中は描いた絵画は注目されず、昭和の後半になってからNHKの番組「日曜美術館」でブレークしたようです。田中一村が住んで描いた場所は、千葉市と奄美大島ということで、作品の多くは千葉市美術館と今回訪れた奄美大島の田中一村美術館にあります。その他個人の所蔵も多いようです。

私が凄いと思うのは、「線の描き方」が実に滑らかで、そこに鮮やかな色で花鳥画を描いていることです。代表作は「ビロウとアカショウビン」と南国の海を表している「アダンの海辺の図」です(次頁)。現物を見て一番印象的な絵は「枇榔樹(びろうじゅ)の森にて」でした。これは葉っぱの筋や葉先の枯れ具合など実に精密に表しているのです花鳥画をモチーフにした絵は、私の好みの「伊藤若冲」の動植綵絵に負けず劣らずのものでした。

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泥染体験と大島紬

大島紬は名前の通り、奄美大島で生まれたものです。訪れた大島紬村では、世界3大織物の一つに数えられる大島紬の成り立ちや工程、そして職人の実演をガイド付きで見ることができました。大変精緻な手仕事は反物になるまで相当の時間がかかることから、ものによってはかなりの値段になっているようでした。しかしそれはもう、うなずけるものでした。その最初の工程である糸を泥で染色する体験を妻はしました。龍郷村の肥後染色で90分間の奮闘でTシャツとストールを職人さんに手ほどきを受けながら行いました。

写真にあるように、タンニンを含んだ「シャリンバイ(車輪梅)」を煮出した汁で何回ももみ洗い、そのあと中和のための石灰を含んで水にさらし、その後鉄分を含んだ「泥」でもみほぐすのです。これを繰り返すといい色になるのです。最高の色「黒」になるまでは何十回もの工程を要します。職人さん夫妻と妻は同い年であったことから、話が弾み家族の話をしながら和気あいあいとした時間を過ごすことができました。帰りに「タンカン」という奄美大島の特産品の果物をいただきました。とても甘くてジューシーでした。

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また最終日には、大島紬美術館を訪問しまた。豪華なリゾートホテルTHIDAの中にあり、代表的な龍郷柄で織ったもの、また田中一村の絵画をモチーフにした帯や着物などの紹介がありましたが、目が飛び出るような値段でした。

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鶏飯と黒糖、そして焼酎

奄美大島の郷土料理と言えば「鶏(けい)飯(はん)」。江戸時代、薩摩の役人をもてなした料理。実にシンプルなのです。鶏肉の裂いたもの、タンカンの皮、パパイヤ漬け、錦糸卵をご飯の上にのせ、鶏のダシをかけて食べるというお茶漬風なイメージです。私は、ひさ倉と言う店で昼食に、ホテルでは朝食に頂きました。私にとっては、鶏はもちろんですが、パパイヤの漬物が大変うまかったです。

また、黒糖作りに家族で営む「水口黒糖工場」を訪れました。さとうきびを原料としたものですが、採れた畑で味がそれぞれ違うことから、幾つかの畑のものをブレンドして生成していると話されていました。工程の殆どは手作業で、大釜でさとうきびの汁から水分を蒸発させている光景は圧巻でした。実は、江戸時代薩摩藩は、奄美大島を支配下にし、この黒糖を安く買い入れ、江戸や難波で高く売り、藩の財政を豊かにしていました。そのため当時の奄美大島の人々は糖をなめることもできない厳しい状況にあったようで、現在は同じ鹿児島県になっていますが、その恨みは現在も続いているようです。

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また、黒糖を使った焼酎作りも盛んで、私は「高倉」という焼酎を「ならびや」という名瀬市内の食事処でいだたきました。この店には約300種類の焼酎がおいてあるとご主人は言っていました。ここではご主人が自慢ののどで、島唄をうたってくれました。(写真)三味線を弾いていた人は学校の柔道部の先輩ということでしたが二人とも唄に感情がこもった素晴らしいものでした。何と奄美大島の島唄の’島’とはアイランドの島でなく「集落=縄張り」というもので、薩摩藩に虐げられた苦しい時代に生まれたものということをご主人から聞くことができました。いわゆる怨恨歌なのです。 ご主人は私と同学年で、若いときは横浜に住み、その後大阪でサラリーマン生活を送り、55歳で奄美大島に戻り、店を開業したとの話でした。

やはり旅での出会いは良いものです。

以上

印刷される方はこちら→奄美大島 紀行記 1回目

 

おひとり様の老い支度 ⑫ 任意後見制度と法定後見制度

今回のテーマ 「任意後見制度と法定後見制度」 12回目 (完)

発行3/25/2021

社会福祉士 北村弘之

 任意後見制度は,本人が十分な判断能力があるうちに,将来,判断能力が不十分な状態(いわゆる認知症や精神疾患等)になった場合に備えて,あらかじめ自らが選んだ代理人(任意後見人)に,自分の生活,療養看護や財産管理に関する事務について、代理権を与える契約を公証人の作成する公正証書で結んでおくというものです。いわば、将来の老いの不安に備えた「老い支度」の制度なのです。自己責任で、将来困らないように備えておくことなのです。

また、成年後見人制度は、認知症,知的障害,精神障害などの理由で判断能力の不十分な方に対し,不動産や預貯金などの財産を管理したり,身のまわりの世話のために介護などのサービスや施設への入所に関する契約を結んだり,遺産分割の協議をしたりします。ただその必要があっても,自分でこれらのことをするのが難しい場合もあります。また,自分に不利益な契約であってもよく判断ができずに契約を結んでしまい,悪徳商法の被害にあう恐れもあります。このような判断能力の不十分な方々を保護し,支援するのが成年後見制度です。

12回目 任意後見 1

おひとり様にとって、判断能力がある段階では、「任意後見制度」を利用することになります。その多くは、「移行型」といって、契約の段階では信頼できる人と「財産委任契約」と「任意後見契約」の両方を結んでおいて、判断能力の低下が見られた場合、家庭裁判所に「任意後見」に移行するものです。

12回目 任意後見 2

財産管理契約の中では、どのような代理行為を委任者に委託するかを決めておくことが大切です。例えば、通帳の管理保管は本人が行い、入出金等は委任者が行うなど明確に決めておくことなどです。また、身上監護のひとつとして、行政の窓口手続きを代行することを契約文書の中に明記することもよいでしょう。これらは、いずれも本人が病気がちで外出がままならない際に応ずることができます。

一般的に、財産管理契約と同時に、死後事務委任契約や遺言書を作成することが現実的です。いわば生前契約ですので、おひとり様にとって頼りになる支援のひとつになります。途中で委任者に任せられない時になった際には、契約破棄することができるように条文に加えることです。

12回目 任意後見 3

12回目 任意後見 4

印刷はこちら⇒ 老い支度 おひとり様 「任意後見制度と法定後見制度」⑪

中村 哲先生が残してくれたもの(NHK放送より)

1/6/2021

中村 哲先生が残してくれたもの

–NHK放送 「中村 哲の声がきこえる」–

北村 弘之(社会福祉士)

コロナ禍の年末年始にかけてNHK放送の「中村 哲の声がきこえる」を感動深く観ることができた。この番組は、2019年12月にアフガニスタンの地で銃撃された中村哲先生を支えた、日本人ワーカー(支援者)の生き様、そしてその後を追ったものです。

私が知る中村医師像は、医師は治療も大切だけど、その前に「きれいな水」が大事だから、井戸や用水路を作ると言って活動した人だと思っていましたが、実はそれだけではないことを知りました。

さて本題の前に、中村哲医師の功績について多少触れてみたいと思います。

中村哲医師は1984年に現地でハンセン病の治療を開始しました。治療はハンセン病に留まらず感染症や皮膚病、外科の治療を行うことになり、範囲は徐々に拡大していったのです。その中で、「百の診療所より一本の水路を」となっていきました。水は生きていくものにとって生命線です。すでに1000本以上の井戸を掘り衛生環境の改善を図っていましたが、2003年には、緑の大地計画を起こし、灌漑用水路を現地の人と作りすでに65万人分の農地を作り上げていきました。その最中に銃撃されたのです。

このように、中村哲医師の強い信念と行動力で、現地での働く人そして100名を超すワーカー(支援者)が一緒となり脈々と35年と実行されてきたのです。まさに信念の人、偉人です。

今回の放映は、その中の数名の日本人ワーカーが紹介されていましたが、まさにその人の人生を変えるインパクトのある言葉を中村哲医師が発声してきたことの凄さに導かれていると感じたものでした。

人生において、そのような人に出会えるかは運命かもしれませんが、人は誰でもそのような時があると思われます。それをチャンスとしてとらえるには勇気も必要です。日本人のみならず、現地の人も中村哲医師の声、目、振舞いを通して、その信念を感じて一緒に行動したのでしょう。

【日本人ワーカーの言葉(映像より)】

・一隅を照らす。与えられた場所で一生懸命尽くすことを教えられた。

・先生から指示あった。「水を出せ。手段を選ぶな、銀行強盗以外何でもしてよい」

・「米軍が爆弾を降らせるなら、我々は食料を降らせるんだ」と先生から指示があった。とにかく全力で取り組んだ。日本では得られなかった充実感があった。

・先生と話をしていたら、うそが言えない眼であった。

・自分の身の回り、出会った出来事の中で、人としての最善を尽くすことではないだろうかと思っています。

【中村哲医師の言葉(映像より)】

現地に赴いた日本人ワーカーは、日本では満たされず「青い鳥」を求めて来る者、日本の社会になじめない者、半ば興味本位としか思えない者、「国際援助」の美名にひかれる者と様々でした。でも私は動機を問わないことにしていました。使える、使えないかを評価することもありません。その人が、いかに誠実に任務に関わり、自分の先入観を克服して、いかに虚心になりえるか、日本人としての真心、心意気、素朴な人情を買ったのです。                                                                                                                               以上

中村哲 写真

印刷はこちら→ 中村哲先生の残したもの(NHK 放映2020年末)

「おひとり様」の老い支度 ⑪ いろいろあるセーフティネット

    発行2/25/2021

社会福祉士 北村弘之

人々の暮らしを支えるため、日本ではこれまで「社会保険制度(医療保険、年金保険、介護保険)と労働保険制度(雇用保険、労災保険)が拡充されてきました。(これを第1のネットと呼びます)

例えば、医療費がかかった時は、基本的に健康保険が7割を負担してくれます。また、働けなくなった時には「障害年金」「老齢年金」また「雇用保険」の受給があります。また、最後のセーフティネットとして、「生活保護制度」(第3のネット)があります。これは、日本憲法第25条「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」に保障されるもので、最後の砦となる社会保障政策です。サーカスの綱渡りや曲芸では、万が一失敗して転落しても、舞台裏にはさまざまな安全網が張り巡らされているのと同様、国民生活からみれば貧困状態に落ちるのを防ぐ最後の安全網が生活保護制度なのです。

その中間層が「生活困窮者自立支援制度」です。(第2のネット)これは、新しく生み出されたもので、非正規社員のみならず不安定な就業者に対して自立を促す制度です。

(図は厚労省)

11回目 セーフテイネット

おひとり様のみならず、働く意思はあるもののなかなか安定した生活を送ることができない、また仕事に就けない、あるいは技能を身につけたい人のための制度で、一時的な金銭的支援もあります。

主な支援策は、住いを確保するための家賃補助、就労に向けての訓練支援、家計相談等です。

生活保護制度また生活困窮者自立支援制度の相談窓口は、各市町村にありますのでHP等で確認してください。

とにかく、おひとり様になっても社会との関わりを絶えず持ち続けるためには、近所の顔見知りや知り合いと連絡することが大切です。そうすることによって孤立を防ぐことが可能になってくるのです。

印刷はこちら→ 老い支度 おひとり様 「セーフテイーネット」⑩

環境庁発 2100年未来の天気予報 

11/30/2020

環境庁発 2100年未来の天気予報

北村 弘之(社会福祉士)

地球温暖化が叫ばれて久しくなります。特に、ここ数年の大洪水の発生や猛暑など自然災害が我々の生活に与えるものは甚大になっています。私の小学生時代は、夏に30度を超えると両親は大変だと言っていましたが、50年後の現在は35度超えが日常的になりました。

  下記の写真は、環境庁(政府機関)がホームページで公開しているものです。私は、この記事を見て大変驚きました。何も温暖化対策がされない場合の80年後の「全国の最高気温」を表しています。現在でも夏には40度近くになることはありますが、40度超えは日常的になっているというものです。多分、自然界の動物や植物を含む多くの生物は、この「変化」に対応出来なければ衰退の一途となっていくのでしょう。それも「ゆで蛙」的に。


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2015年12月のCOP21「パリ協定」では、各国は産業革命前からの気温上昇を「1.5度」以内にする目標を立てました。しかし、米国の離脱表明がありその前途は暗くなっています。

しかし、我々一人ひとりができる何かがあるのではないでしょうか。その一つは、生活の満足感を80%にするというものです。よく言う、「腹八分目」と同様です。生活の向上や満足を求めるのは人間のよいところですが、その反面も考える必要があります。

例えば、車社会は生活の利便性を大いに上げましたが、排気ガスという問題を発生させました。それを世界的規模で規制をかけた結果、ガソリンの消費量は減り、空気も改善されました。

現在はプラスティックの課題がまだあります。これも世界的な課題の一つです。

自然破壊もそうです。山に降った雨水は、豊富な有機物を含みながら川となって、栄養分のある水となって海にそそぎます。そして、魚の繁殖をもたらしています。「水」はどんな生物にとって必要なものです。大変今年4月に亡くなった「C.W.ニコル」さんは、そんな自然を守りたいと長野県黒姫山に「アファンの森」を作り大きな共感を得、現在も引き継がれています。

今ある命は、動物や植物であろうと過去脈々と引き継がれてきたものです。この数十年の人間の経済活動一辺等が将来を危うくすると思っている人は多くいるのではないでしょうか。

今回のコロナ禍で、インバウンド作戦はやはり人間が作り上げた「バブル」経済の一つだったのではないでしょうか。 我々の生活に無理のない成長、そして行動が後世に引き継がれていくことが大切だと思った次第です。これは個人もそうですが、企業も同様です。               以上

印刷される方は→ 2100年 未来の天気予報

 

おひとり様の老い支度 ⑩ 葬儀と墓

今回のテーマ 「葬儀と墓」 10回目

         発行1/25/2021

社会福祉士 北村弘之

人生の最期は死となります。おひとり様でも、近いところに親族が住んでいる人は、ご自分が亡くなっても「どのような葬儀をしたいか」また「どこに納骨してほしいか(墓)」は生前に意思を明確にすることは比較的可能です。しかし、頼る人がいない場合は、「遺言書」に葬儀や納骨に関して記したものを残しておくことがよいでしょう。但し、遺言書は生前には開けることはできませんので、エンディングノートのようなものに自分の意思を明確にして、信頼できる人に託すことも一つの方法です。

さて、最近のおひとり様の葬儀についてです。少なからず身寄りがいる人は、「家族葬」と称して、関係者で見送ることが多いのです。仏教の場合、通夜、告別式、そして火葬という流れが一般的です。私が担当しています被後見人の多くは、身寄りのないおひとり様ですので、通夜や告別式はなく、いきなり火葬場で直葬となっています。火葬後の納骨は、永代供養のできるお寺や公立墓地にお願いしています。もちろん費用はかかりますが眠るところがあるので安心です。最近は、このようにおひとり様でなくとも、子どもが遠くにいたり疎遠になったりで、永代供養を選択する人が多くなっています。

10回目 葬儀と墓1

 

また生前において、「墓じまい」をする際にはご自分の意思で墓を管理する管理者に申し出ることができます。これを改葬と言います。もちろん費用と時間はかかります。

また、実家をたたむ時や引っ越しの際に悩むのが仏壇の扱いです。継承者がいない場合や置く場所がないという理由で「仏壇じまい」を選択する人もいます。そのような場合、仏壇業者やお寺に相談してみましょう。いきなり、遺品整理業者に依頼する方法もありますが、やはり先祖の供養をすることを忘れないようにしたいものです。

印刷はこちら⇒老い支度 おひとり様 「葬儀と墓」⑨