ウポポイと有珠山の旅

2022/7/10

「ウポポイと有珠山の旅」

—北海道 道南—

社会福祉士 北村弘之  

コロナ禍の影響で、2年越しになった北海道道南の旅を楽しんできました。「ウポポイ」、「洞爺湖」そして活火山の「昭和新山」を間近くに見てきた紀行文です。(6月30日~7月1日)

【ウポポイ】

ウポポイは、北海道白老町に2021年に一般公開された国立の施設です。パンフレットには、「アイヌ文化の復興・発展の拠点として、また将来に向けて先住民の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴となる空間」とあります。

この空間(土地)に、国立アイヌ民族博物館、古来の住まい、そして体験交流ホールと多くの見学と交流の場がありました。当日は、平日にも関わらず多くの修学旅行の学生や団体で賑わっていました。

私は、自分の郷里石川県小松を離れて、横浜に住まいを移したころから、北のアイヌ民族、南の琉球民族に、自分の故郷感と思えるような愛着を覚え、これまでそれらの地を訪れたり、本で学んだりしてきました。この二つの民族はともに日本国という文化・慣習に同化されつつも、昔からの風習が生活の中に生き続けていること、そこに民族としての誇りを感じるのです。

かつて、アイヌ民族は江戸時代に幕府(日本国)と戦いなからも、「万物は自然と生きる」そして「互いに共存して生きていく」ということを生活の中心に据えていました。それらは、今回の博物館の展示物や踊りや言葉から感じとることができました。そして言葉はわからなくても歌声からは、「みんなで生きていくんだ」というメッセージが伝わってきました。まさに、現代人が忘れている「人間は自然の一員として生かされている」ことを訴えているように思えました。

その晩、ウポポイの西にある海辺のホテルに泊まりました。コロナ禍で客数は減ったものの休みなく営業は続けていたということです。部屋にはテレビはなく、目に入るものは太平洋の波と海鳥、そして波音、風呂はゆったりと広々とした温泉で目の前は太平洋、ロビーでは大型スピーカーによるオーディオの音色。時間を忘れさせてくれた一泊でした。食事は、料理人からの説明を受けながらおいしくいただき、盛り付けた器の話もできて何とも言えないくつろいだ時間になりました。営業が継続できている理由は、数年おきに行うメンテナンスにあります。実際、風呂場に修繕した跡をみることができました。細かな配慮は人にも、建物にも食事にも接遇にも表れていたホテルでした。残念だったのは、霧雨であり、太平洋からの日の出(4時すぎ)を拝めなかったことです。

【有珠山と昭和新山】

7月初めというのに、気温は20度に届かず、山や太平洋を見る地球岬、そして洞爺湖には深い霧が立ちこめており、3日間の旅は青い空が恋しい日が続きました。

そのような中、’優しい火山’と言われる、有珠山のふもと洞爺湖町にある「火山科学館」を訪れました。この優しい火山と言われる所以は、一般的な火山は突然噴火があるのに対し、有珠山は周期的な火山活動を繰り替えしており、一度噴火があっても数か月が経つと落ち着いた山になるということのようです。

ある写真集を見ていたら、このような記事がありました。「噴火という大地の「動」の時期を迎えると、「客」になった人間は「主」である火の山々におとなしく居住区を明け渡します。噴火が収まるや、今度は人間が「主」となり、「客」となった火の山々を利用しながら失った繁栄の再生に努める「静」の時期を過ごします」 まさに、火山と共生する人々が住んでいる街なのです。

その有珠山の火山噴火で有名なのが、麦畑であったところに突如隆起し高さ700mの「昭和新山」です。私も映像での記憶がありましたが、1977年(昭和52年)のことです。今回、間近でみたその姿は、今も火山性蒸気が立ち昇っており、まさに生きている大地そのものでした。現在もレンガ状の溶岩に覆われており、山の上部では木は植生していませんでした。

直近では、2000年の噴火です。その場所は現在散策路となっており、歩いてきました。火山活動により隆起した道や押しつぶされて家や建物がそのまま残されており、ジオパークとして継承しれていました。すさまじい自然の力を見ることができました。