水郷 柳川と大宰府巡り

2022/6/25

「水郷 柳川と大宰府巡り」

—福岡—

社会福祉士 北村弘之  

仕事の縁で、5、6月と福岡県を訪れる機会に恵まれ、これまで行くことができなかった名所を楽しんできました。その紀行記です。

【水郷の地 柳川】

天神駅から特急電車で約50分。福岡県の南部の柳川市には柳川城(跡)の堀を巡る船があり、船から街並みを見る約1時間の船旅に出かけました。船頭には10代の若い人から80歳代の70名ほどがいるようで当日は女性の船頭さんでした。名所案内のほかに地元の唄を披露してもらいながら楽しむことができました。船旅の道中には14か所に橋があり、船がようやく通過できる狭い水路の橋があったり、頭上すれすれの橋があったりと船頭の腕が試される航行でした。大きな堀のほかに、各家の路地先の狭い水路を含めると何とその長さは930kmにも及ぶということを聞いて、生活に根付いた江戸時代の当たり前の原風景が今にありました。街全体は静かな城下町で、堀からみる街並みは昔ながらの風情があり、一層静かさを感じました。また、ここは北原白秋の生誕の地ということでした。

船遊びを楽しんだあと、柳川市に面している有明海まで遠出し、初めて有明海の干潟を見ることができました。丁度、潮が数キロにわたって引いていた時なので、ムツゴロウが飛び交う姿に巡り合うことができました。遠くには雲仙岳が見え、タクシーの運転手は「ムツゴロウにも会え、よい時に来たね」と言われました。市内に戻り、柳川名物の「せいろ蒸しうなぎ」の夕食。何と市内には23軒のうなぎ屋があり、私は1681年から続く本吉屋で庭園を見ながらいただきました。ゆったりとした趣のある柳川の地でした。

一番狭い橋「城西橋」
干上がった有明海
せいろ蒸しうなぎ

【大宰府と九州国立博物館、筥崎宮】

大宰府と言えば、菅原道真を祀る「学問の神様」大宰府天満宮です。しかし、訪問して歴史本を紐解いてみると、そこは7世紀の朝廷の遠地役場であり、唐(中国)や朝鮮半島との貿易や外交の窓口となった場所でした。九州北部には、大陸との交易の遺物や防御跡など各地で見られます。また、左遷の地でもあり、菅原道真をその一人でした。こうして西の都として大宰府の栄華があったようです。

大宰府天満宮を訪れた6月中旬は、平日にも関わらず多くの観光客がお参りに出かけており、菖蒲池では見事な菖蒲が咲き誇っていました。その池のほとりの茶屋で名物「梅ケ枝餅」をほおばりました。皮の食感はパリパリとしたもので、梅茶とともにのんびりとしたひと時を過ごすことができました。

九州国立博物館(九博)は、国内4つ目の国立博物館として2005年にオープンしたもので、大宰府天満宮の近くにあります。所蔵品の多くは、九州と東南アジアのものが中心で、建物は近代的な大きなひとつ屋根の構造でスケールの大きさを感じることができました。常設の文化交流展示室のテーマは「海の道、アジアの路」。我が国がアジアとの出会いの中で育んできた数々の歴史のドラマを、時空を超えて紹介しているものでした。私の最大の印象展示物は、紀元前4世紀前の亡くなった人をそのまま収納した「壺」でした。子ども用のものもあり、福岡県内のある遺跡では数百にのぼる「壺(亡骸)」が発掘されているようです。現代と違い、亡くなった人を偲び、先祖に感謝し、そして自分たちの住まい近くの丁寧に葬っているのです。生きることは逝きることにつながる精神を感じ取りました。

大宰府天満宮内の菖蒲池
中央の円筒壺が棺

【筥崎宮と山笠】

5月に宿泊したホテルの近くに「筥崎宮」があり、早朝に参拝にでかけました。ここは、筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられています。鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名のようです。驚いたのは、楼門には「敵国降伏」の扁額があったことでした。

筥崎宮の楼門

また約800年続く、博多祇園山笠が3年ぶりに開催されることを現地で知りました。絢爛豪華な博多っ子の勇壮な祭りは、櫛田神社を中心に7月1日~15日に開催されます。一度は見たい夏の風物です。 

以上