7年ぶりに見る原発被災地

2021/6/07

「7年ぶりに見る原発被災地」

—福島県 楢葉町、大熊町、双葉町、浪江町—

社会福祉士 北村弘之  

今年3月11日、東日本大震災は10年を迎えました。これまで、私は大震災の年にボランティアとして宮城県や岩手県の被災地支援、そして2014年には岩手県沿岸部の被災地巡りと福島県の原発被災地を訪問しました。また再び2019年には復興目覚ましい石巻市を訪問したのは、この未曽有の災害そして復興を自分の眼で確かめたいという思いからでした。今回は、’20年9月福島県双葉町に完成した「東日本大震災・原子力災害伝承館」を友人と一緒に訪問してきました。

【国道6号線は除染物を運ぶダンプカーそして観光バス】

国道6号線をいわき市から双葉町に向けて走っていると、7年前にいたるところにあった「除染物」は殆ど見当たりません。それもそのはず、’21年秋を目標に大熊町や双葉町の集積地(中間貯蔵施設)に汚染土が県内各地から集められているとのことでした。そのため、写真のような「除染土壌」の旗を掲載した大型ダンプカーがひっ切りなしに走っています。一日あたり3,000台になり、高速道路でも頻繁に見ました。そのダンプカーはモニター付きで、運搬時の万が一の事故のことを考慮してどこを走行しているかを本部でチェツクしているとのことでした。

常磐道を走る「汚染土」運搬ダンプカー 前面の緑色のステッカーが印象的

また国道6号線には観光バスも多く走っているので、関係者に聞いてみると、何と原発事故の後処理に従事する作業員の送り迎えのバスなのです。現在は約4,000名の人が働いているとのことです。多くは土地の人でないため、いたるところに立派なプレハブ建屋があり、そのまわりにはコンビニがあったのが普通の土地と違った不自然さがありました。これが、今後数十年続くのでしょう。

【多くの帰宅困難区域】

東日本大震災・原子力災害伝承館を訪問しました。名前のとおり、大震災と原発事故の記録をとどめると同時に、防災と減災の教訓として未来へつなぐというものです。私の感想として原発の事故原因が何であったかということには一切触れていないので残念でした。

展示物を見たあと、語り部をしていた人の好意で、浪江町・大熊町・双葉町の今を車で案内していただきました。国道6号線の両側約6kmは現在でも帰宅困難区域となっており、家の前には侵入しないためのバリケードが張り巡らせてあり、この光景はずっと長く続くものと推測されます。我々が見たJR大熊駅周辺は電車の乗り降りはできるものの、周辺はバリケード。ちょうど環境省の財源で家を壊しているところも見られました。町はまさに廃墟としています。

今回は海岸沿いの被災地が訪問の中心でしたが、畑やたんぼがあったその周辺はどうなっているか容易に推測できるものでした。

新装なJR双葉駅  乗り降りは遠地からくる作業員のみで一般の人はいない。この周辺も帰宅困難区域
JR大熊駅前 駅前の住宅地はバリケードで囲まれて帰宅困難区域となっている

 

【続く原発再開に怒り】

私は、この10年前に発生した原発事故は人間が判断を誤った人災であると考えています。最近、このような地元住民や国民に大きな影響を与えた原発の再稼働が容認されています。それにまして、原発で使用された「核燃料の廃棄物方法」が決まっていないということはそれ以前の話です。我々で言えば、食べ物を口から入れて、排泄したにも関わらず、そのまま自宅に放置されている状態なのです。ですから、どこの原発も現在は同じ敷地内に放射性廃棄物を「仮置き」と称しておいているのです。この仮置きの先は決まっていない状況です。このように再稼働の安全が担保されようが、放射性廃棄物の処分先が決まっていない状況での再稼働はまったく理にかなっていません。

遠くの白い建物は廃炉になる原発。写真の送電線は原発から東京方面ら送電されていたもの。今後解体されるのでしょう。写真両側に小さく見えるのは解体用の大型クレーン。

以上

東日本大震災・原子力災害伝承館の屋上から見る太平洋。たぶん震災前は住宅や農地、防風林があったのではないだろうか。この場所から約5kmのところに原発がある。現地は双葉町にあり、写真左側には旧請戸小学校がある。(浪江町)