「死を生きた人々」を読んで

2/2/2021

死を生きた人々

(訪問診療医と355人の患者)

著:小堀 鴎一郎

北村 弘之(社会福祉士)

2018年6月にNHKで放映された番組を本にしたものが「死を生きた人々」です。これは多くの共感を呼び「人生をしまう時(とき)」というタイトルで映画にもなりました。私はNHKで放映されていた「在宅医療」の現実を目の当たりにしました。そして今回、そこに登場した小堀医師の著を読み、改めてもっと「生きること、そして死ぬこと」に真剣に向き合うことが必要と感じました。

死を生きた人々 表紙

在宅医療と在宅死

私が子ども時代、祖母が病気になると父は往診医を呼んで診てもらっていましたが、現在は往診という言葉は死語となり、代わりに「在宅診療医療」と言われています。この仕組みは、通院できない人などを対象に医師や看護師が定期的に自宅を訪問して患者の容態を診るものです。

2012年は新生在宅医療元年と言われています。この狙いのひとつに医療負担額の絶対額減があります。著によると、入院の場合、救命・根治・延命が主目的となっており、そのためには薬剤費や検査費用がかさむのに対し、在宅診療の場合は、特に看取りが前提となった場合は、苦痛を取り去るだけの治療となり、医療の目的が違いこともありますが訪問診療と入院での医療費は10倍の開きがあるということです。

しかし、在宅療養診療所の届け数は、13,000以上あるにも関わらず、看取りを実施した診療所は全体の5%ということです。この数字は、いざとなった時、多くの家族や医師は「病院」に入院させるということからでしょう。1951年当時、病院で死を迎える人は11.7%で圧倒的に自宅だったようです。私の祖母もそうでした。(1966年死去) 現在もその割合に大きな変化はないようです。

小堀医師によると、その原因は「死を忌み嫌う国民感情」つまり、家族間で死の話はタブーであり、病院に担ぎ込めれば何とかなるという意識が長い間に醸成されたものであると言っています。また医療技術は発達し、医療・看護関係者の間では「死は敗北」といった意識が生まれ、「延命至上主義」の風潮が広まり、国民の間でもその意識が広がったことによるとあります。

米国との比較では次のような書かれていました。米国ではホスピス、つまり「死なせる医療」が進んだのに対し、日本では「生かす医療」一辺倒で進んできたものであろうと。

小堀医師は、40年の外科医から訪問診療医(65歳)に転じたあと、355人の患者を診てきた。著の中でそのうちの41事例を紹介し、患者の症状や患者の想い、そして家族の感情を記した上で、医師として何をすべきだったかを回顧録的に発信しています。病院死が一般化するにつれ、自分や家族がいずれかは死ぬという実感がなくなり、死はドラマや小説の中に出てくる出来事でしかなくなったとも。

私は、在宅死か入院死かの選択は本人の想い、家族の仕事や生活の状況を踏まえた上で、一方的な医療側の都合だけによらないことが大切であろうと思った次第です。

生き方はもちろん大事ですが、死に方も大切であることを先人からもっと学ぶことが不足している現代です。

 以上

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