中村 哲先生が残してくれたもの(NHK放送より)

1/6/2021

中村 哲先生が残してくれたもの

–NHK放送 「中村 哲の声がきこえる」–

北村 弘之(社会福祉士)

コロナ禍の年末年始にかけてNHK放送の「中村 哲の声がきこえる」を感動深く観ることができた。この番組は、2019年12月にアフガニスタンの地で銃撃された中村哲先生を支えた、日本人ワーカー(支援者)の生き様、そしてその後を追ったものです。

私が知る中村医師像は、医師は治療も大切だけど、その前に「きれいな水」が大事だから、井戸や用水路を作ると言って活動した人だと思っていましたが、実はそれだけではないことを知りました。

さて本題の前に、中村哲医師の功績について多少触れてみたいと思います。

中村哲医師は1984年に現地でハンセン病の治療を開始しました。治療はハンセン病に留まらず感染症や皮膚病、外科の治療を行うことになり、範囲は徐々に拡大していったのです。その中で、「百の診療所より一本の水路を」となっていきました。水は生きていくものにとって生命線です。すでに1000本以上の井戸を掘り衛生環境の改善を図っていましたが、2003年には、緑の大地計画を起こし、灌漑用水路を現地の人と作りすでに65万人分の農地を作り上げていきました。その最中に銃撃されたのです。

このように、中村哲医師の強い信念と行動力で、現地での働く人そして100名を超すワーカー(支援者)が一緒となり脈々と35年と実行されてきたのです。まさに信念の人、偉人です。

今回の放映は、その中の数名の日本人ワーカーが紹介されていましたが、まさにその人の人生を変えるインパクトのある言葉を中村哲医師が発声してきたことの凄さに導かれていると感じたものでした。

人生において、そのような人に出会えるかは運命かもしれませんが、人は誰でもそのような時があると思われます。それをチャンスとしてとらえるには勇気も必要です。日本人のみならず、現地の人も中村哲医師の声、目、振舞いを通して、その信念を感じて一緒に行動したのでしょう。

【日本人ワーカーの言葉(映像より)】

・一隅を照らす。与えられた場所で一生懸命尽くすことを教えられた。

・先生から指示あった。「水を出せ。手段を選ぶな、銀行強盗以外何でもしてよい」

・「米軍が爆弾を降らせるなら、我々は食料を降らせるんだ」と先生から指示があった。とにかく全力で取り組んだ。日本では得られなかった充実感があった。

・先生と話をしていたら、うそが言えない眼であった。

・自分の身の回り、出会った出来事の中で、人としての最善を尽くすことではないだろうかと思っています。

【中村哲医師の言葉(映像より)】

現地に赴いた日本人ワーカーは、日本では満たされず「青い鳥」を求めて来る者、日本の社会になじめない者、半ば興味本位としか思えない者、「国際援助」の美名にひかれる者と様々でした。でも私は動機を問わないことにしていました。使える、使えないかを評価することもありません。その人が、いかに誠実に任務に関わり、自分の先入観を克服して、いかに虚心になりえるか、日本人としての真心、心意気、素朴な人情を買ったのです。                                                                                                                               以上

中村哲 写真

印刷はこちら→ 中村哲先生の残したもの(NHK 放映2020年末)