こども食堂について考える

09/19/2020

社会福祉士 北村弘之

私が「こども食堂」の存在を知ったのは2016年の新聞です。この豊かな日本社会に食事を満足にとれない子どもの存在があるということに大変な驚きを感じたものでした。その背景には、リーマンショックがもたらした親の非正規雇用の拡大や離婚やDV等の母子世帯の増加が挙げられています。そのうえ、祖父母が孫の面倒を見るという3世代家族の少なさや近所付き合いがうすくなったことが深く関係していると思われたので、こども食堂の誕生は、将来の社会を背負うこどもの貧困の表れだと考えていました。それに拍車をかけていたのが、2013年に「子どもの貧困対策法」が制定されていたことでした。このようなことから、「こども食堂」への反響は私を含めて社会的に大きな問題を提起したのではないでしょうか。

最初のこども食堂が2012年に大田区で開設されて以来、2019年6月では、全国に3,718か所の「こども食堂」が運営されています。大変な勢いです。このような状態を踏まえ、私は将来を背負う子どもたちの生活環境に不安を感じていました。しかし、最近になり「こども食堂」についてよくよく学んでみると、当初考えていたイメージとは違う存在意義があることが分かりました。その違いは、食堂にくる子どもたちの多くは「貧困」の家庭だけでなく、地域のふれあいの場を求めてやってくる子たちであるということです。

こども食堂の運営は、地域の人が地域のこどもたちのためにボランティア活動の一環として行われています。そこでは、「こども食堂」を通して、失われた近所付き合いの交流があり、そして大人と一緒に生活知識を学べる場を提供していることです。つまり、こども食堂は「地域交流の拠点」となっているのです。なかには、夕食時期に親が働きにでかけて孤食で過ごす子どももいますが、その子を含めて、年配の大人たちと一緒にワイワイガヤガヤと過ごす場所なのです。心配ごとがあれば表情に出ます。また何かあればこども食堂に足を運ばないこともあるでしょう。そのようなときに、年配の大人たちは気遣うのです。「どうしたの?」と。まさに高齢者を対象とした「食事会」のような存在なのです。

人は誰しもひとりでは生きていけません。子ども達は大人のやっている姿や言葉を通して成長しているのです。子どもの不安な顔は食堂で大人たちが把握でき、そして大人たちは何らかの支援を差し伸べることができるのです。こども食堂には、そのような存在意義があるのです。

行政は、家庭で問題が発生しないと動きがとれませんが、こども食堂の存在は、その前兆をとらえることもできる場でもあるのです。まさに、介護保険制度の予防措置と同じであるのです。

こども食堂は、現代の社会に合った、子どもも大人も「自主・自立の生活の場」であり、その結果「相互の人づくりの場」であると考えます。そして行政に頼らず、ボランティア活動しいるのが継続しているのも魅力なのでしょう。

ダウンロード

   以上

印刷される方は→こども食堂について考える