宗教都市 高野山巡り

2019/11/17

宗教都市 高野山巡り

北村弘之

 紅葉が見事な時期に「世界遺産高野山」を訪れました。当初は9月に予定していましたが、アクシデントの影響で2か月遅らせたことで11月中旬にも関わらず、色とりどりのもみじが街全体に輝いていました。宿坊の人の話では、台風の温暖な影響で紅葉の時期は一週間遅れとのことでした。

 大阪難波で南海電車に乗り、極楽橋経由でケーブルカーとバスを乗り継いで約1時間45分で標高800mの高野山に到着。電車やバスでのアナウンスは、日本語の他に英語とフランス語。関西では、中国語と韓国語のアナウンスが多いのに高野山ではないのか尋ねてみると、アジア系の人は殆ど来られなく、ユーロッパ系の人が圧倒的とのことでした。我々の泊まった宿坊では30名の宿泊客のうち20名はヨーロッパ系とりわけフランス人のようでした。落ち着いた雰囲気の宗教都市高野山に求める何かがあるようです。宿坊の風呂場では、外国人二人に訪ねてみるとフランスからの訪問者でした。また、岩手から「ねんりんピック和歌山大会」に参加された方と会話をし、大震災の際にボランティアで訪問したことを話すと親近感がわいてきました。そのような高野山の旅風景を記してみました。

◇宿坊

 高野山の寺院は山の上の盆地にあり、3kmの街道沿いに現在123の寺院があります。その中で約千名の僧が修行の日々を送っているとのことです。そのうち53の寺院が宿坊を営んでおり、そのひとつ「持明院」に我々は泊まりました。二千坪の敷地に本堂や護摩堂、そして宿泊部屋があり、部屋から見る庭には今まさに紅葉といわんばかりの木々と池(写真)。そして石の苔は一千年の歴史を感じさせるものでした。食事はもちろん精進料理を御膳でいただくものです。しかも注文すればお酒をいだたけるとあって日本酒を一献しました。般若湯(ハンニャトウ)と称してビールや日本酒をいただけるのです。

 このお寺では、お坊さんだけでは世話できないので、従業員を雇っているとのことでした。僧侶との話に加えて従業員さんからも丁寧な話を聞くことができました。

翌日朝には、お坊さんと一緒に本堂で勤行するができ、ろうそくの灯りのもと寒い中(気温7度)宿泊者の半数が参加されておりました。

◇根本大塔と金剛峯寺とそして大門

 弘法大師様(空海)が高野山開創にあたり、「根本大塔」を建立したのが816年と言いますから、すでに1200年の歴史があります。この大塔を実際に見ると約50mの高さに圧倒されました。お堂に入ると胎蔵大日如来が鎮座され、周囲の16本の柱には見事の曼陀羅が描かれておりました。大塔の高さと同時に見事な朱色の輝きにも目を奪われました。本当にこの場所は真言密教の道場であり、心洗われるひと時でした。

また徒歩で下界から高野山を目指す人の入口に「大門」があります。現在では修行僧のみが麓の街から8時間ほどかけて登ったり下ったりすると宿坊のお坊さんから聞きました。それにしても、根本大塔や大門、金堂などの大きな建造物を平地で作るのも大変なことなのに、この山上に作った古のパワーに驚嘆です。

 金剛峯寺は高野山全体を総括する伝統そのままに、全国4千か所の真言宗の総本山です。豊臣秀吉が亡き母親の菩提寺として建立されたものです。茅葺の屋根の上には、大きい桶があり天水を貯めておき、火災の延焼時に人が屋根に登り、水を撒くというものです。現在では放水銃が完備され役目はないようですが、防火対応の先人の知恵なのでしょう。

◇奥の院

 弘法大師様の御廟がある「奥の院」。この日も多くの参拝人や観光客で賑わっていました。1か月に一度は来られる大阪の人にお話を聞かせてもらい、御廟橋の水面に映るお経のことなどを教わりました。ガイドブックにも記載さてれていないちょっと得した時間でした。10時30分には、弘法大師様に食事を届ける儀式があり、厳かな中で拝見することができました。1200年続く伝統で基本は精進料理のようですが、今どきはパスタもあるとのことです。

奥の院では、もうひとつ特徴的なのが立ち並ぶ「お墓」です。老木の狭い中に推定30万基ともいわれる墓が安置されていました。その距離は2kmにも及ぶものです。豊臣秀吉の立派な墓もあれば、織田信長のこじんまりとした墓、そして関西の企業の供養塔などもありました。その一つ現パナソニック創業者の松下幸之助氏が建立した慰霊等は本人が44歳の時に建てたもので驚きです。大小のお墓が、老木の林の中、苔で覆われているのは長年の歴史を感ずるものでした。

◇高野山全体が居心地のよい街

 高野山は、参拝で見える日本人も見られましたが、ヨーロッパ系の人、とりわけフランス人の観光客が多く見られました。私たちが立ち寄ったお食事処でも団体で満員でした。メニューの高野山名物の「カツカレー」を召しあがっているのにはちょっと驚きでした。節度あるフランス人の態度があり、街は静けさの中、夕暮れとともに17時には店じまい。日中は団体観光客も多い中、店への呼び込みはないし、街全体が静寂に包まれており、多分それは、街道沿いに並ぶ「寺院」の清楚さと街全体が掃き清められているからかと思われました。

また、大人のエンターティメントが高野山にあると思われるのもすごしやすい一因かも知れません。代表的なものは、六角経蔵での突起を押して回すと経典を唱えたことになるというものから、80mごとにある町石での徒歩目標などです。

 翌日の訪問地「京都」の賑やかな雰囲気とは違い、再度訪れたい高野山でした。ちなみに、翌日の京都では、錦市場の京台所風景を楽しんだ後、急ぎ足で美術館巡りをしました。清水三年坂美術館、河井寛次郎記念館、細見美術館、無燐庵でした。京都訪問時は新しい発見を求め、美術館巡りが恒例となりました。

以上

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