病気での悩み、苦しみ

「病気での悩み、苦しみ」

2019/07/25

社会福祉士 北村弘之

私は後見人という仕事柄、この7年間で5人の方のお見送りをしました。

この6月には、18年間に及ぶ闘病生活(慢性閉塞性肺疾患COPD)であった61歳の男性の方をお見送りました。本人は亡くなる半年前から徐々に衰弱し、医師からは”いつ発作が起きるか分からない”ことを任意代理人として宣告を受けました。しかし、本人はまだ入院が続くと入院費がかさむことを心配するほど、自分の命がこれまでと同様、まだ続くと思っていました。亡くなる3か月前になると、これからの自分はどうなるのか不安でしかたがなかったのでしょう。急性期病院から療養型病院に転院後も、身体が思うようにならないいらだちを、医師や看護師にぶつける場面もありました。もちろん私にも愚痴をこぼしていましたが、できることはただ聴くことだけでした。そのような中、趣味の「鉄道」の話題になると、院内の施設担当者の男性と結構話をされたことを亡くなったあとに聞きました。多分、その時は自分の病気を忘れる唯一の救いの時間だったのでしょう。

「死」はだれでもが不安な人生最後の関門です。人間の命には限りがあり、生まれたからには必ず死を迎えることになります。理屈ではわかっていても自分事にできないのが人間です。あたりまえですね。死という経験を語れる人は誰もいないわけですから。

さて、当の本人の話題に戻りましょう。私は本人とは7年間、任意後見受任予定者(任意代理人)契約を結んでいました。判断能力は充分ありましたが、階段の上り下りおりするのも大変な息苦しさでしたので行動範囲は自分の部屋内だけでした。そのような環境ですので、私の役割は役所や銀行等への書類提出や、入院や通院の同行でした。そしてひとりでの生活ができなくなり、自宅から施設、そして病院への転居の支援が続きました。

本人は24時間の在宅酸素生活、そして限られた中での生活環境だったこともあったのでしょう。些細なことにも不満を持って過ごされていました。施設では、自分の思うようにならないことを、周りの職員やヘルパー、病院の看護師にあたることがよくありました。多分、「自分の心情」をもっと理解してくれというサインなのかも知れませんが、周りの人は「怒られている」と感じとっており、意思疎通はうまくとれませんでした。もっと、接し方を工夫していれば、お互いのストレスは少なくなったと思われます。このストレスは病気(COPD)の見えない部分に大いに影響していたことでしょう。

私は、本人と接した最初のころ、まず信頼関係を築くことにしました。本人が言い出してよいと思うような生活環境の話、母親のこと、趣味の鉄道のことが始まりだったように思えます。特に、鉄道のことは私も興味がありましたので、撮影した鉄道写真を見るだけで自慢話がでました。このようにして、月に数回訪問しましたが、いずれくるであろう「死」ということにはどうしても話をすることはできませんでした。ただ1回だけ母親の死が近いときに「遺影」の話をし、自分の遺影の写真を探しだし最後はそれを使うことができました。

亡くなる半年前に病状の苦しみから、”余命がどのくらいあるか医師に聞きたいなあ”と私に話がありました。すでに本人は病床で塞ぎこんでいたこともあり、そう言われたのでしょう。しかし、実現しませんでした。転院先の医師からも、明確な余命宣言はありませんでしたが、”この病状ではいつ何時、苦しくなってもおかしくはありません”と本人も私も聞かされていました。

18年間の療養生活でした。私が任意代理人を担当した頃から、呼吸器疾患と発熱で1年に数回計3か月の入院もあり、歳を追うごとにその回数は増えていきました。40度近くの発熱でもうろうとした状態の中、「何故自分がこのような目にあわなければならないのか、そして苦しまなければならないのか」と思ったことでしょう。幾度もの山を越えて、多少楽になり私が訪問すると冗談を言って笑顔が見えることもありました。これは安堵感からでしょう。

本人の苦しんでいるとき、また一時回復した際にも私は”聴き手”にまわるだけでした。欲しいものがあれば、買い物に一緒に同行するだけでした。本人は、人に言えない悩みや苦しみを言ってもわかってもらえない思いを私に言っていましたが、その私も充分に応えられずに過ぎ去ってしまったことが残念です。

最近、医師樋野興夫(順天堂医学部教授)の著「ガン哲学エッセンス」という本を読みました。長年の医師の仕事を通して、「人生とは何か」を語り続けた、いわば哲学者的になっている内容で大変読みやすい本です。その一節に、”名称に「哲学」とあるのは、対等な立場の人間同士が対話することによって、悩みの本質に迫り、解消の道を導きだすのが目的”とあります。大学病院では、「ガン哲学外来」を設けまたしが、医学的な診療ではなく、患者と医師との対話によって、いわば「言葉の処方箋」を患者やその家族に提供することで、ガンにまつわる様々な悩みを解消することを目指しているのです。まさに、京都の医師で故早川一光氏の「患者の思いに応えるには、医療だけでは充分でない、すべての人間学に応えるためには”総合人間学”が必要である」と同様なことを言われています。

また、夫の死をキッカケに、看護師から僧侶になった玉置妙憂(女性)は、著書「死に行く人の心に寄り添う」で次のようなこと述べています。「答えのないことを問われる時、そこは逃げ出さずに聴くことが大事です。答えはありませんから、聴くだけですが、それでいいのです。諭したり、ごまかしたりする必要はありません」 ここでいう、答えのないということは例えば「人はなぜ死ぬのだろうか」「どのくらい生きていられるだろうか」というものです。著書の中で、日本でも養成が始った”臨床宗教師”のあり方も提言されており、興味深いものです。

同様な存在として、「マギーズ東京」の共同代表で看護師の秋山正子さんがおられます。病院でも家でも話せないことを「マギーズ東京(豊洲)」では話せる環境作りにしているようです。ここのスタッフは話をするのではなく、聴きだす力が大切であると秋山さんは講演会で話されていました。

私は、社会福祉士として悩む人、言えない人、苦しんでいる人に接する際、その人に合った話し方を心掛け、よき聴き手となり、本人の力で悩みを解消できるよう、これからも寄り添っていきたいと考えております。

印刷の方は⇒   病気での悩み、苦しみ07202019(HP)