しまなみ海道と伊予の旅

しまなみ海道と伊予の旅

                                       5/15/2019

北村社会福祉士事務所 代表 北村弘之

瀬戸内の島々、尾道(広島県)と今治(愛媛県)をつなぐ「しまなみ海道」と「伊予の国」を訪ねた旅行記をお届けします。 今回は、学生時代の先輩に46年ぶりにOB会でお会いしたのをきっかけに、先輩の住む松山迄足を延ばしました。

しまなみ海道

新幹線で一路、新横浜駅から新尾道駅へ。下車後、レンタカーを借り、いざ「しまなみ海道」です。尾道と今治間は高速道路で約60km。走ってみると意外に近い本州と四国でした。 因島、生口島を過ぎ、大三島で先輩と合流しました。この島では、「戦いの神」として、古来から崇拝を集めている「大山祇神社」をお参りしました。山門の前には、樹齢2600年を誇る日本最古の「クスノキ」が鎮座しており、私達を迎えてくれました。「戦いの神」とあって、サッカーJ3のFC今治(元日本代表監督の岡田氏が現代表)のメンバーの参拝、また昔には山本五十六など武将の参拝があったようです。 この大三島だけでなく、しまなみ海道の島々は、多くの木々に覆われていますが、ところどころに黄色くなっている「竹林」がいたるところにあるのが目につきました。それにしても、しまなみ海道のサービスエリアやパーキングエリアから見る瀬戸内の穏やかな海と、ポツポツと点在する島々の風景は、私達に安堵感を持たせてくれるものでした。 6つ目の大島では「亀老山」に車で登りました。眼下にみる来島海峡と瀬戸内の島々、その間を通る船の景色はまるで絵に描いたようでした。島々は海面の水蒸気で雲海に浮かんでいるように見え、何か神秘的なものがありました。また、流れの速い来島海峡をまたぐ「三連続のつり橋」の景色もさることながら、日本の橋梁技術の粋を感じました。そして何と言っても、ここの展望台では、老夫婦が営む店で「藻塩アイスクリーム」です。アイスクリームの中に海藻の「藻」のきざんだものが点在しており、更にその上に藻塩をふりかけたものです。ほのかな塩味が甘味を引き立て、疲れを癒してくれました。 丁度今年は、しまなみ海道が全線開通してから20年。本州と四国を結ぶ3ルートとも日本の物流、観光、そして人の生活を大きく変えてきたことが伺えます。これから先も経済の動脈として活動していくのでしょう。

今治タオルと美術館

今治と言えば、すっかりブランドになった「今治タオル」。肌ざわりの良さはもちろん、今ではタオルだけでなくスカーフなど衣装にも範囲を広げており、用途の多さでも大人気です。ご当地でよいものを買い求めてきました。その場所の一つが「タオル美術館」です。原料の綿から、糸に、そしてタオルになる製造工程の見学コースは圧巻でした。また約1000にも及ぶ染色の糸の展示には「造形」を感じました。また見事な庭園もありました。ここでは、「キャシー中島」さんのパッチワークなどの常設作品展示があり、何枚か写真に収めてきました。

焼き鳥と鯛めし

今治での一日目は、先輩の贔屓の「ういち」という焼き鳥の店で食事をしました。この店ではふだん食べられないいろんな部位のものがあり飲食を堪能しました。炭火焼きでしたが、今治では「鉄板で焼く」店が多いということを女将から聞きました。これは、造船業の労働者が仕事帰りに寄って食べたもので、せっかちな性分のため鉄板で焼いたということでした。 二日目は、松山で「鯛めし」でした。道後温泉本館前の「魚武」でいだたきましたが、伊予では、ご飯の上に刺身にした鯛をのせた”宇和島鯛めし”と、鯛をのせて炊いたご飯 ”松山鯛めし”があるというので、それぞれを食しました。どちらにしても、食感の良さを感ずる郷土料理でした。。ちなみに、伊予の国の鯛の養殖は日本一の出荷高ということで、やはりご当地のものをご当地でいただくのは一番おいしかっったです。

道後温泉と松山

松山は若くして亡くなった「俳句」の正岡子規、「坊ちゃん」の夏目漱石、「坂の上の雲」で一躍有名になった秋山兄弟(好古、眞之)の生誕地です。街やホテルには「俳句ポスト」があり、市民俳句の盛んな土地柄となっているようでした。 2日目の泊りは道後温泉本館の近くです。夕食後は道後温泉本館で入浴。松山市の公営浴場で安いこと(一般は410円)そして、歴史のある建物のため大勢の人でにぎわい、湯舟に入るのは容易ではありませんでした。現在は修復工事のため、一部しか入れませんでしたが、浴室に入ると「砥部焼」の陶板画があり、そして湯釜と呼ばれる巨体な石造から湯が流れていました。もともとあった源泉はすでに枯れており、現在は別のところからお湯を引っ張ってきているようです。それにしても、現代の街中に風情のある温泉本館でした。近くには、2つの温泉場がありましたが、ここは現代風のものでした。

お遍路さんとサイクリングの道

四国88か所の霊場を巡るお遍路さん。今治市内から松山市内に向かう海岸線を車で移動中にお遍路さんを何人も見かけました。今治で宿泊したホテルにはバスツアーでの団体のお遍路さんでしたが、私達が見かけた人は本当の一人旅でした。それも男性でした。一人旅といっても、弘法大師さんとともに歩くといわれているので「同行二人」ということを先輩から聞きました。私達も先輩の自宅の霊場「太山寺」にお参りしてきました。 また、しまなみ海道の橋ではすっかり有名になった「サイクリング」の人を多く見かけました。殆どの橋は高さ50m以上のところにあるので、しまなみ海道でのサイクリングの人は、島々では海岸線を走り、島から島への移動時には「橋」に登るため、相当のエネルギーが必要となります。多々羅大橋のたもとで、ご夫婦が休んでいましたが、奥さんのものは今どきの電動自転車でした。走っている人は圧倒的に外国人の方が多かったです。

内子と和ろうそく

江戸時代に松山藩と大洲藩を結ぶ街道町として栄えた内子。今ではひっそりとした街並みでしたが、和ろうそくで栄えた文化町でした。櫨の実を原料とした和ろうそくは現在でも作られており、各地の寺院などで利用されているとのことです。煤が出ない、長持ちするということで現在も需要はあるということでした。残念ながら、実際の和ろうそくの製造現場は見られませんでしたが、後世に残してもらいたい遺産のひとつです。

以上

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