老いるということ

人生100年時代と言われ、まさに「長生きリスク」が増大される昨今です。

古代インドでは「四住期(しじゅうき)」という考えがあります。この最期の「遊行期」は、人生のしめくくりの時代と言われており、この時期は「死への道行であり、幼い子供の心に還っていく懐かしい時代」と言われています。

私は、後見人という仕事柄、いろんな人の生活を支援させていただいております。この中に、昨年から後見人を受任しました86歳の女性がおられます。経験等がすっぽりと忘れた認知症なのですが、声かけにも笑顔で応えるほどの健やかさがあります。音楽大学を卒業とあって、特養内では仲間と「歌」を楽しんでおられるようすは、本当に生き生きとしています。

私はこの方に「将来の財産は大丈夫ですよ」というと、「よかった」と返事がありますが、「病気になったら手術等はどうしますか?」と聞くと、「私わからない、どうしたらよいの?」と逆に質問されてしまいます。この時の表情は、実に屈託ない子どものような笑顔で返事をされます。投げかけた言葉には、殆ど、「どうしたらよいの?」と逆に問いかけられます。ご自分の行く末に不安もなく、毎日を楽しんでおられる人生、このような遊行期の過ごし方もありかと思う今日この頃です。

先日、美術家「篠田桃紅」氏の著作「105歳、死ねないのも困るのよ」を読みました。生涯現役で、希代の書家です。その篠田さんの本に次のような文面がありました。

 “”老人になっていく生きかたは、本当に難しいです。頭の中は、思考力や洞察力はどんどん成長していますが、記憶力はずいぶん衰えています。気力も落ちています。しかし、精神はますます成熟しており、思いも深まっています。一身の中で、成熟している頭と精神、衰えている頭と体力の両方を抱えてやっていかなければならないのが、老いるということだと感じています。(中略)

 いい老い方の道を求める気持ちを持っていることが、いい老い方に繋がるのではないかと思っています。””

また、こんな文書もありました。

“”どうなるかわからないから最後まで生きていられる””

私は、歳をとることはどうしようもないと思いますが、「老いる」ことには、何かまだ抵抗があります。しかし、子どもの独立や夫婦二人での生活感、そして自分の肉体的、精神的な変化を感じながら「老いて」いく人生を過ごしていくことになるのでしょう。

自分の生活や人生を楽しみながら、次代の人にバトンタッチしていく過程も老いることかと感ずる日々です。

過日、封切りした「北の桜守」の主演、吉永小百合さんの演ずる、年老いた母の姿は苦節の人生の晩年を表した素晴らしい映画でした。

以上    老いるということ 03182018